やすとものいたって真剣です。銀シャリ 笑い飯西田 スリムクラブ真栄田

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今回のゲストは銀シャリ 笑い飯西田はスリムクラブ真栄田に密着

銀シャリ、スリムクラブ
銀シャリが全国区になったのは「2016年M-1グランプリ」
そのM1に決勝戦に連続出場して2010年グランプリを受賞した笑い飯西田が、
M-1グランプリラストイヤーのスリムクラブ真栄田に密着

銀シャリ編

>銀シャリ結成秘話

NSCの同期だったが、面識が無かった二人。
銀シャリの入った時は、900人の同期。
同じクラスにもならなくてお互いに知らなかったそうです。

知り合ったきっかけは、NSCで500円払ったら出られるライブに、
ライバルが多くてなかなか出演が出来ないので、
自分たち主催のライブに出演した時に、別のコンビに鰻さんがいたそうです。

鰻さんは3組目のコンビやトリオで、
橋本さんも6組か7組目のコンビやユニット、時にはピン芸人もされていました。

その時の芸名は、橋本サラダ、橋本カルパッチョと名乗り、
役者として映画に出た時に阿部サダヲさんみたいに出たらいいなと、
その時はオールマイティーな活動も視野に入れてたことも、あったそうです。

鰻さんと知り合った時の、橋本さんの相方は「安井まさじ」さんと言って、
鰻さんとも仲が良かったそうです。

鰻さん、橋本さんそれぞれのコンビが解散するタイミングが一緒になり、
安井さんから「橋本たぶん鰻と合うで」と言われて安井さんを通じて、
鰻さんは橋本さんの電話番号をしり、早速連絡をとったそうです。
安井さんのことを信頼していたから連絡したとの事。

一方、橋本さんは「次組んでアカンかったら辞めよう」と思い、
1か月ごとに相方を変えてコンビを組む事にしていました。
全ての相方同意の上での1か月ごとの交代でした。

橋本さんにとって、鰻さんはこの時点では「知らん人」
わざわざ遠くに出向くのが面倒だから、
「伊丹(兵庫県)まで来てくれへん?飲むから」と、
八尾に住んでた鰻さんを呼び寄せ、食事をしたそうです。
鰻さんは原付で2時間かけて八尾から伊丹まで走って、
原付に乗るからお酒は飲まないでやり過ごし、橋本さんだけお酒を飲み、
お会計の時に割り勘で行くつもりで、橋本さんがトイレに立っている間に、
鰻さんが会計を済ませて「相方交代お試し」の割り込みをお願いして来ました。

橋本さんはこれから「お試し」をする予定だった、相方候補にすべて「割り込みが入る」と報告したそうです。
きっちりされてる人ですね。素晴らしい。

いざ、コンビを組んでみたらお互い練習が楽しかったと。。
鰻さんは、「今まで太い声のツッコミしか組んだこと無かった。
橋本のカーンと高いツッコミが気持ちよかった。」
そしてインディーズのライブで漫才をやってみたら「ウケた」そうです。
そして順位も良くなりしっくり来て、お試しの相方候補に「会い方が決まった」と報告。
相方候補は皆さんいい人で、「良かったな。そのコンビ見てみたい」と受け入れてくれたとか。

コンビ名が銀シャリに決まった理由

名前をいちいち考えるのが面倒くさいとオーディションの前日、
それぞれ20組くらいコンビ名を考えたら「銀シャリ」だけが、
かぶってて、コンビ名「銀シャリ」に決定。

そのあと、「銀シャリ」にするか「銀しゃり」にするかで3時間揉めたそうです(笑)

2008年からM-1に出場し、2010年に決勝進出。

コンビの仲は良くて、コンビ結成時に喧嘩をしたことがあっても、
ケンカの内容はネタの事だけだったそうです。

お互いがピンで出る仕事も、お互いチェックする仲だそうです。

ロケ芸人の苦悩

関西での銀シャリは毎日ロケをしていて「週八」ロケだったそうです。

楽しい事でも、毎日同じことだと疲弊しえてきて、
ケンカをしてるうちにお互い泣きそうな顔になっていいて、
「楽しく生きれてないから、何のために生きてるかわからへん」

やりがいがない日々を送っていたようです。

「M-1で優勝するには、このスケジュールじゃ無理。」と感じて、
「暇になるために東京に行こうとした」

何でも過ぎたるは及ばざるですね。

東京では仕事は無くなる覚悟での上京でした。

銀シャリの人生観

全国ライブで毎回いいネタをおさめる。
各都道府県に小さめのライブを開催して、
生で漫才を見る機会を全国の人に作るために、47と同の漫才を作ってるそうです。

やりたい事が出来てる現状。

YouTubeにも漫才をアップしてるが、こちらは学校の放課後感覚でアップされてるそうで、
再生回数の少なさを言ってくる人がいる。
再生回数が少なくてもやりたい事が出来てて幸せだけど、
「もっとみたい」「〇〇より出ないね」と人様がペースを司りがち。

人が出てない時間帯にテレビに出てたら「最近見ないね」と言われる。
その人の生活ペースが違うだけなのに、
人が勝手に銀シャリのペースに当てはめてられてしまう。
価値観を勝手に決められる時代になっている。

司会のやすともから「いい話が聞けた」「ありがとうございます」と綺麗に収まりました(笑)

笑い飯西田Dの特別企画

ロケの打ち合わせに笑い飯西田さんと、スタッフが集結。

西田Dからの要求
・ラグビー場を抑えて欲しい
・ドッキリも入れたい
・これは絶対ないけど「焼酎」
・涙

スリムクラブに密着

コンビ結成15周年のスリムクラブに密着。
2010年にM-1グランプリにダークホースとして現れてインパクトを残したスリムクラブ。
笑い飯も決勝で1票差まで追い込んだスリムクラブのM1ラストイヤーに密着。

ネタ合わせの邪魔にならないように、少し離れたところから密着の西田D。

西田D、スリムクラブのネタ作りの秘訣を聞いてみる。
コンセプトはどんな感じかは見えてきた。もっと人間味を出したいと真栄田さんの弁。

「人間味あふれる漫才」を目指す。

昨年「闇営業問題」で謹慎になった真栄田氏。
いつ仕事が出来るかわららない状態の時、島田洋七師匠に呼ばれた真栄田氏。

「もう一回M1に出ろ」「ちゃんと(M1で)1番になれや」と激励。
真栄田氏が感激して泣いてたら、「彼女来るから帰って」と照れ隠しを言われたとか。

西田Dは「M-1王者としてエールを送りたい」

そんなスリムクラブのに西田Dは「M-1王者としてエールを送りたい」

スリムクラブがネタ合わせをしてる間に、西田Dは金髪のかつらをかぶって、
M1審査員の松本人志氏を彷彿させる格好で、
遠くからスリムクラブも見て審査をしてる体を演出。

スリムクラブに「1億点」と、M1決勝戦のイメトレ?

そして秘策としてM1に向けてメンタルトレーニングを始めた真栄田。

それに乗っかりサプライズへ誘導する西田D

感動のサプライズへ

埼玉県 熊谷ラグビー場に真栄田を呼んだ西田D

高校時代ラグビーをしていた真栄田、ラグビー場への招待にめちゃくちゃ大喜びです。
ここでメンタルトレーニングを始める真栄田。
無意識に「M-1チャンピオンという意識」を刻み込むと自然とそうなっていくという理論だと言います。

過去の生活環境からお金に対するイメージが悪かったので、
悪いイメージを消す方法として、陶の所でハートの形を描きながら、
「お金に対する嫌な感情を何であれこれが完全に癒されることを望みます」
「お金に対する嫌なイメージを手放すことを望みます」
「そしてお金に対してポシティブなイメージを得ることを望みます」

ちょっとスピリチュアル?オカルトチックな真栄田さんを前に、無の表情の西田D。
悟りの境地ですかね?

そんなか天気が悪くなり、ラグビー場の方の計らいで選手の控室でメンタルトレーニング?

お笑いの話になるからとここで焼酎が登場。
笑い飯はスリムクラブと「戦友」と言う思いを抱いてる事などを語る。
笑い飯は「真剣にふざける」事に重きを置いたそうです。

お笑いと言う答えのないものに点数をつけるM1

そして、相方内間からの思いをラグビーボールにしたためた物を、
西田Dから渡された真栄田。

感極まり涙ぐむ真栄田。

銀シャリは「M-1があるからさぼらずに済む」

やすとものいたって真剣です 感想

銀シャリの周りはいい人にはいい人が集まるのかな?

M-1の予選風景のBGMに星野源の「アイデア」がかかる辺りは、
星野源に似てると言われてる?鰻さん。
星野源の熱狂的ファンでもある橋本さんにピッタリな選曲と言えそうです。

価値観を勝手に決められる時代については、昔からそうだったと個人的には思います。
「〇歳までに、〇〇してないとおかしい。」ってその人の尺度をこっちに押し付けてくる事。
正直うざいですね。うざい思いを有名人の方は、もっとされてるんだろうな。
大変です。

スリムクラブ真栄田さん。
昨年は色々と大変でしたが、そこで覚えたメンタルトレーニングなのでしょうか?
1人の時にやった方が良さげなトレーニングでした。

デビュー15周年がM-1ラストイヤー。
イメージトレーニングが実を結びますように。


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