今回はすゑひろがりずの新企画ロケが始まります。
また、以前の放送で時間内に収まらなかったトーク公開です。
やすとものいたって真剣です 番組概要
VTR出演 すゑひろがりず
「こんなロケをやってみたかった!
芸人がいたって真剣にロケ企画を全プロデュース」は、
芸人が本当にやりたいロケを行う夢のような新企画。
第1弾は、すゑひろがりずが“令和の弥次喜多”に!
「東海道五十三次をドライブ旅したい!」と、
東海道の宿場町を巡りながら、
53枚の写真を撮るという夢のロケに挑む。
東海道五十三次は京都の三条大橋から東京の日本橋までを結ぶ53の宿場のこと。
距離にしておよそ500キロあり、2人は各宿場町で写真を撮りながらドライブ旅を楽しむ。
今回は和の要素を封印しようと、私服姿で普通に話すすゑひろがりず。
レンタカーに乗り、南條の運転で、まずは大津宿を目指す。
宿場町に到着すると、歌川広重が描いた浮世絵の一部を再現しようと、写真を撮影。
三島は南條の指示で上半身裸の洗濯男のポーズをイヤイヤとるが…。
スタジオも大爆笑の写真の出来は!?
道中では、改名のきっかけが大御所の師匠だったことや、
三島のほろ苦い青春エピソードなど、
知られざる秘話や素顔を覗かせる2人。
水口宿に向かう車内では封印していた和風を解放し、いつもの和風変換も!
まさに“令和の弥次喜多”珍道中が展開する!
さらに、陣内智則、和牛、霜降り明星、ミキら、
これまで番組に出演したものの放送できなかった
「芸人の本音がわかる未公開トーク」も一挙大放出する!
すゑひろがりずのロケと秘蔵トーク
東海道五十三次をドライブ
途中の宿で歌川広重の浮世絵の絵のポーズを再現しながら、
江戸を目指します。
三条大橋から東京の日本橋までの道中、
今回は和の要素を封印を最初はしてましたが・・・。
大津宿
大津宿に向かう道中のトークで
三島さんは免許失効して、現在は免許がないそうです。
免許を持ってた頃家の門を4度壊した。
そして関テレ報道のカメラアシスタントをしていたが、
寝坊して首になったと、あまりついてない半生を送ってます。
大津宿の絵の真似をして、
洗濯してる人の恰好をする三島さん。
草津宿
群馬の草津温泉を滋賀県草津市と思ってた三島さん。
草津宿の途中にみえた琵琶湖。
風が強い日で、琵琶湖に波が立ってます。
鉄柵もつららがありました。
南條さんは大津の街がバックに入るように、
つららの写真を撮りました。
宮川花子に怒られてコンビ名変更
すゑひろがりずは元々「みなみのしま」という名前でした。
宮川花子師匠から「『こりゃめでてーな』良い芸風で良い名前やな」
と褒められたもののコンビ名を間違えられていて、
「僕ら『みなみのしま』なんです」と訂正をしたら激怒され、
「もっとめでたい名前にせなアカン」と、
こりゃめでてーなに、「名前をあげなさい」と進言し大事になり、
困り果てたとうじ「みなみのしま」の二人は、
大助師匠に相談して「すゑひろがりず」にコンビ名改名。
結果的にこれが良かったそうです。
草津宿
草津宿ではかごを引いてる人の姿の真似する三島さん。
お昼は浮世絵に描かれた「うばがもち屋」が移転して、
現在は「宿場そば」として営業中だそうです。
「うばがもち屋」は店長不在でロケがNG。
すゑひろがりずはそばを食べた画像を公開するにとどまりました。
石部宿(滋賀県湖南市)
三島さんは高三の頃に、自転車で東海道五十三次をしました。
京都と東京を自転車で5日間で行ってしまう行動力。
凄いですね~。20時間漕いでたそうです。
石部宿の前では、面白い恰好の人の真似して写真撮影。
さむくて手を上げるのがイヤな三島さん。
水口宿
水口宿につくまでカタカナを和訳する言葉遊びをするお二人。
ガソリンスタンド→油売りでござる
大きなトラック→やんごとなき駕籠(かご)よ
ローソン→街の温か関所
サーティワンアイス→三十路越えの氷菓子
宿到着
浮世絵の藁を作ってる人を真似して撮影。
何故寒いのに上半身裸?
まだシリーズが続くかは謎です。
芸人の本音が知れる企画
以前のゲストのトークで時間が収まらなかった総集編
陣内智則の人生を変えたロケ
明石家さんまさんとのロケ
からくりテレビでラサール石井さんの自宅ロケがあり、
ラサール石井さんの奥様はすごく若くて、
当時で20代か30代だったとそうです。
歳の差夫婦のラサールさんに
「年下の人とどんな会話してるのですか?」と尋ねたら、
さんまさんは当時20代のセクシーなお姉さんと、
焼肉を食べてるところを何回か写真を撮られて
いたのを思い出して、
「さんまさん。二十歳のセクシー女優とフライデーされてたな」
と言ったらさんまさんが「やかましいわ」と、
ツッコミをスルーされてしまい、戸惑う陣内さん。
ロケも終わってからモヤモヤとロケバスに乗ってたら、
最後部の席からさんまさんがやってきて
「さっきのアレ、次もう一回やってくれへん?」
言ってくれたらあれやってこれやって(詳細はわからず)…、
最後に『わしやないかい!』ってアレやろう」
と言って、元居た場所に戻っていたそうです。
あのさんまさんでも反省してわざわざ言いに来てくれた。
そのことが陣内さんはとても嬉しかったといいます。
さんまさんの謙虚さが分かるエピソードですね。
年下の
漫才コンビの相方がいなくなったらどうする?
やすとも→ともこがコケたら、やすよが怒る。
(いなくなったら困る、相方がいなくなったら終わるという考え。)
ミキの亜生→お兄ちゃんに最悪の事態が起きたら?
「俺には次にどんな仕事があるんか」
どちらも「相方が休んだら一人で出たくない」
1人で謝りに行って、他に何かをするのが無理だそうです。
和牛がYouTubeをしない理由
和牛の水田さんはがYouTubeをしないのは、
テレビやラジオに出てるし、
自分であえて発信するものがない。
テレビで料理をする事もあるが、
それを改めてYouTubeでするつもりもない。
やりたいのはお笑いと漫才とのこと。
お笑いで稼ぐだけでいい。
料理番組でレシピを考える時間があれば、
漫才の事を考えたい。
すごくシンプルですね~。
そのことを相方の川西さんは「ワガママやな~」
霜降り明星
霜降り明星のせいやは小学校の頃「お笑いクラブ」所属。
毎日黒板に大喜利を出されお笑いをしていたそうです。
小学生で大会に出て、NHKホールの2000人の前で漫才!
以後、ずっと漫才をしていたそうです。
粗品はクラスのひょうきんものを「なんやアイツ」と、
斜に構えて見ていた学生時代でした。
「俺の方がおもろい」
M-1グランプリ世代なので、歴代チャンピオンを見て育ったそうです。
「粗品はオールマイティーで凄い」とやすとも絶賛。
今のお笑いは漫才だけしてたらいい世代ではないから凄い。
粗品は第7世代というくくりがかせになっているのが悩み。
もっと先輩と一緒に仕事がしたい。
先輩と仕事をしていつの間にか自分が、
「先輩」になってるようになりたい。
せいやも「第7世代は沈む船」
第七世代と呼ばれて喜んでる芸人は誰もいない。
周りが勝手に呼んでいるだけ。
やすとものいたって真剣です 感想
すゑひろがりずのコンビ名命名のエピソードは強烈ですね。
最初花子師匠が「間違えたのにキレるんかい!」ってツッコミそうになりました。
しかしまぁ、「名前を上げなさい」と言われた、
こりゃめでてーなさん達の気持ちや如何にですね。
自転車で東海道五十三次既に経験していた三島さんは、
なかなか凄い人かもしれないです。
夏休みなどの長期休暇を遣わず、不登校な10月って所も凄いです(笑)
ゆる~い東海道五十三次。
忘れたころに続きが観たくなるかも(笑)
近畿圏を抜けたらいまの状況ちょっと移動は厳しそうですね。
芸人エピソードは明石家さんま師匠が、
いつまでも芸能界第一線にいる理由が分かる気がします。
気持ちがいつまでたっても昭和の青年みたいなところが、
もう少し収まれば、若い人からも受け入れられそうですね。
そして、兄弟姉妹の漫才コンビは、
「相方がいなくなったら困る」と必死で思いが、
弟と妹の方がより強いのが印象的です。
どこかで出てしまう末っ子気質なのか??
私は長子なので、ちょっと分からないです。