アドベンチャーワールド其の壱~パンダに惚れた経緯~


白浜のパンダ母さん良浜

 
 

ちゃりんこ大好き茶鈴子です。

私はチャリンコの移動も大好きですが、ジャイアントパンダも大好きです。
これからは、白浜パンダへの熱き想い?を書いて行こうと思います。
人間とパンダどっちが好きやねんと言われそうなくらいハマってますが、どうか引かないでお付き合い頂ければと思います(笑)

ハンダにハマるきっかけ

子供の頃、東京の上野動物園にパンダがいることも存じ上げてましたが、生まれも育ちも関西の私は、子供の頃の東京はまるで外国に行くような遠いところに思えました。

1985年に上野動物園で初めて生まれたパンダの赤ちゃん初初(チュチュ)が生後43時間で亡くなり、パンダの命の継承は難しいという中で、初初の翌年1986年に生まれた童童(トントン)で始めて日本国内で成長したパンダをテレビ等で知ることとなり、また学生時代にテレホンカードで「童童」がぬいぐるみサイズで捕まり立ちをしてる画像入りのものを持ってたこともあり、使い切ってからもしばらく手放さなかった記憶があります。
「大人になったら一回は東京に行こう」と決めました。そして行きましたがその頃はパンダ熱も収まり、渋谷や新宿に東京ディズニーランドと、上野は山手線で素通りだけで終わりました。

それから数年後、1994年に南紀白浜アドベンチャーワールドにパンダの永明(エイメイ)と蓉浜(ヨウヒン)が来てその頃もあまり興味が湧かず、2000年6月に阪神淡路大震災の復興を祈念して神戸王子動物園に興興(コウコウ)と旦旦(タンタン)が来てもパンダ熱に火が点かない状態でした。

一体いつになたったらハマるねん(-.-)

関西でパンダが見られる環境になったのに・・・。
しかし2000年9月に今のお母さんパンダ良浜(ラウヒン)が生まれた時に、ローカルニュースで放送された良浜の姿に一目ぼれ。
「こんなに小さくてもパンダなんやぁ」と感動してからは、パンダの虜になりました。

良浜生後一か月

実際映像で見たのは、白と黒の模様が出始めたばかりの頃で本当に小さくて儚げすらありました。
今は亡き梅梅(メイメイ:2008年没)に愛情いっぱいに育てられてました。
今では良浜は双子3組と1頭での出産2回で合計8頭の母さんパンダになってます。

一番最初に白浜に来たお父さんパンダの永明は、一緒に来園した蓉浜との間には子供はできず、蓉浜は枝の上にぶら下がり「死んだふり」が得意なパンダでしたが病気で亡くなります。
永明孤独な3年間の後に、2000年に梅梅が「パンダの花嫁」として来園した時には、中国で哈蘭(ハーラン)との間に良浜を妊娠中でした。
「白浜しあわせ計画」というパンダ後継者を遺す計画の一旦を担った梅梅。生まれてきた良浜が永明と血のつながりの無い雌パンダだったのは偶然だとしても、しあわせ計画遂行には重要だったと思うのは私だけでしょうか?

梅梅が亡くなった後、良浜は永明との子供を出産することになります。

パンダは50パーセントの確率で双子を出産すると言われてまして、双子のどちらかを育児放棄すると言われてますが、先代お母さんパンダの梅梅は、良浜の弟や妹に当たる双子を飼育員さんの協力もあってですが、両方とも育てました。
両脇で子供を2頭抱える姿は微笑ましくそして感動的です。

良浜も初産で双子を出産しましたが、お母さんパンダ梅梅のDNAは見事に受け継がれて、両方とも育てました。
初産で双子を両方育てるのは、レアなケースと言われてます。

そんな母性あふれるパンダの事を書かずにはいられないです。
昨年も結浜(ユイヒン)を出産して、2017年春は子育て中の良浜。
良浜をはじめ、パンダファミリーを紹介していきます。
 
 
 

白浜は大阪から行くにも、かなり気合を入れないと簡単には行けない距離の所にあります。
JRの特急くろしお利用で、天王寺からで2時間かかります。
天王寺から特急利用で白浜から路線バス・・となると、泊りがけで行くことを普通は考えるのですが、興味のあることがあちこち分散している私は、なかなか贅沢な旅行ができないので、リーズナブルで体力勝負な日帰り旅行を決行してます。

リーズナブルな日帰り旅行の体験談や、もう少し贅沢な旅行がしたい方への提案など、何回かに分けて書いて行きたいと思います。
勿論、アドベンチャーワールドにはパンダ以外にも魅力的な動物は沢山いますので、可能な限り紹介します。

よろしくお願いいたします。


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