チコちゃんに叱られる 観光地のお土産がなんでペナントだったの?11月8日放送分


昔、自分の家にも貼ってあったし、他所ん家にも貼ってあった、
観光地が描かれた二等辺三角形の「ペナント」

今の若い人は存在すら知らない「ペナント」
今の若い人はおそらく存在すら知らない、おじさんおばさんが若いころのアイドル
「河合奈保子」の曲の1つに「invitation」っていうのがあったのですが、

その歌の出だしが「ペナントだらけのあなたの部屋に・・」
今ではこんな歌詞の歌でないだろうな~。

観光地のお土産がなんでペナントだったの?

キムラ緑子:旗みたいやから。
地図上の宿場町の「ここは宿場町ですよ」
「ここを歩いていきなさい」っていうマークがこれだった。

チコちゃん:そうだったんですか?

キムラ緑子:…そうですよ。

チコちゃん:ボーっと生きてんじゃねーよ

こたえ:タオル屋さんが社運を賭けたから

解説:タオル製造会社経営 間隆浩氏

観光地の土産のペナントは間氏の父親の先代社長が社運をかけて
ペナントを開発しました。

20代の脱サラ社長が苦悩の末にたどり着いた二等辺三角形。

二等辺三角形にかけた情熱~チコジェクトX~

語り、田口トモロヲ
※文章はVTRをもとに、黙読向けに修正してます。
昭和31年終戦から10年経ち、復興の中で日本は活気を取り戻して行った。
裁判所に勤めていた公務員、間勇(当時26歳)はこの復興の勢いに乗って、
人儲けしたいと、公務員を退職した。

目を付けたのは、手ぬぐいに代わる庶民の必需品「タオル」
同年、妻の実家にに土地を借りて、タオルの会社を創業した。

資金も人脈もないマスオさん状態。

昭和33年巨人に長嶋茂雄入団、新人王獲得。
チームは黄金期を迎えようとしていた。

勇は気分転換に球場に足を運んだ勇の目に、あるものが飛び込んできた。
バックスクリーンにたなびくペナント。

優勝のチームだけに与えられる、勝利の証だった。

勇は「ペナントに観光地の絵柄を入れたら売れるんじゃないか?」と思ったらしい(現在の社長隆浩氏談)

しかし、問題があった。
会社と家族の運命がかかった絵柄を何にするか?

長嶋茂雄入団で沸いた昭和33年、完成間近の東京タワー。

「これだ」日本復興のシンボルに若社長は賭けた。

こうして、観光地の第一号は「東京タワー」に決まった。

勇の読みは当たり、観光地のペナントは大ヒット。
まだ個人がカメラを持っていなかった時代。

部屋の壁を見ると、旅の思い出が鮮明に蘇った。

更に、高度成長期に空前の観光ブームが訪れ、
各地のペナントを量産した。

ここでも勇のセンスが光った。
鳥取県の皆生温泉(かいけおんせん)も売れた。
大分県の鯛生金山(たいおきんざん)も売れた。
神奈川県の城ケ島(じょうがしま)は売り切れた。

ペナントでつかんだ、崖っぷちからの大逆転。

勇は笑いが止まらなかった。

現在の社長で勇の息子でもある隆浩氏曰く、
「儲かった売上金はみんなとっかに行っちゃった。」

売上金は車や使わないゴルフの会員権に消えていった。

かつて、日本中の子供部屋を彩ったペナント。
60年経った今、土産物屋から姿を消した。

旅の思い出を残す手段は、ペナントからカメラやスマートフォンに引き継がれた。

チコちゃんは将来修学旅行で「伊勢のあんこのお餅を買う(おそらく赤福)」そうです。

ペナントが廃れた理由

かつて大ヒットしたペナントですが、
いつしか「もらうと困るお土産」の代表格になっていき、
だんだん売れなくなってきた。

まとめ

ペナントが観光地にあるのは「タオル会社が社運を賭けたから。

感想

うちも、子供のころ小豆島のペナント貼ってました。
母方のお墓が小豆島にあったので、毎年のように言っていたのが小豆島「だけ」だったからです(涙)

もらったら困るお土産。
そういえば、昔いた会社でタイだったか、タヒチだったかの土産で、
木でできた魚の下に棒が刺してるお土産いただいたけど、どう扱っていいかわかりませんでした。
ええ大人が魚を使って人形劇でも??

何かしら渡さないと僻まれると思ったのかな?
別にくれなくていいのに(笑)

あと、会社で普段陰湿な嫌がらせをする人から、お義理のお菓子のお土産をもらったりすることもありますが、
表向き凍り付いた表情で「ありがとうございます。」と言いながら、
そんなに親しくない人にこっそり渡したり、捨てたりしてます。

物には罪はないのは重々承知ですが、お情けで本当は好きでもない人にまでお土産くれなくていいから!

会社のバレンタイン同様、職場にお土産配るのも無理しなくていいって思います。


投稿日

カテゴリー:

投稿者:

タグ: