チコちゃんに叱られる「なんで1日3食たべるの?」12月13日放送分


 

なんで1日3食たべるの?

黒木華:決められてたんですかね・・なんか偉い人達に・・。

チコちゃん:官僚たちに?

黒木華:やっぱそれくらい食べないと、体力が持たなかったとか・・

チコちゃん:5でも6でもいいんじゃないの?

黒木華:(前略)偉い人が決めたことにします。

チコちゃん:ボーっと生きてんじゃねーよ!

黒木華:・・・うれしいです。

チコちゃん、一瞬たじろく(笑)

こたえ 1日3食食べるのは、明かりがついたからだから

解説:医学博士 奥田 昌子(おくだ まさこ)先生

日本人が1日3食食べるようになったのは、江戸時代になってからです。
それまでは朝食と夕食1日2食の生活でした。

しかし江戸時代中期になるとあるものが一般的に普及して、
人々の生活は一変します。

1日2食から3食になった最大の原因

一般の人々の間に、照明用の菜種油(なたねあぶら)が普及したからです。

今では食用に使われている菜種油ですが、昔は照明の燃料として使われていました。
しかし昔の菜種油は高価で一般には手の届かないものでした。

代わりに庶民たちが照明の燃料に使用していたのは、イワシの油でした。
しかし、イワシの油は照明を灯す時に、強烈なにおいを放つため、
結果庶民は明かりを使うことがほとんどありませんでした。

しかし西暦1700年ころ、菜種油を大量に作る技術が開発され、
菜種油の値段が下がり、庶民も菜種油が買えるようになり、
照明を点けることが出来るようになりました。

照明が点くようになり、夜も活動できるようになりました。
その結果、起きている時間が長くなり、1日2食では足りなくなりました。
そのため、朝食と夕食の間に昼食をとる習慣が広まっていきました。

菜種油の普及で食事以外にも生活に変化が・・

当時の生活を番組ディレクターが忠実に再現。

1日2食時代 室町時代編

午前3時半~4時 起床
室町時代の人たちは夜明け前に起きました。

そのまま食事を摂らずに仕事場に行って、何も食べずに仕事を始めました。

午前10時ころ 仕事終了
今とは違い、仕事をする時間は早朝から昼前までで、1日5.6時間でした。
(黒木華:いいなぁ)

午前11時 朝食
起きてから7時間以上経過してから朝食をとっていました。

当時の食事
玄米を蒸したもの
澄まし汁
焼き魚などの一汁一菜が基本

朝食後は仕事道具の手入れなど家でゆっくり過ごしました。

午後4時ころ 夕食
夕方に食事をとるのでまさしく「夕食」です。

夕食を終えたころには、あたりは暗くなり始め、
明かりをつけるときにはイワシの油を使いましたが・・。、

午後6時ころ 日没とともに就寝
イワシの油は異臭を放つため、明かりを使うこともなくそのまま就寝することになりました。

室町時代は昼間の活動時間が短く、睡眠時間が長い生活でした。

1日3食時代 江戸時代中期編

午後5時 起床
夜明けとともに起床
起きてすぐ仕事に行く前にに朝食を摂るようになりました。

食事は山盛りの白米、味噌汁、漬物、きんぴらごぼうなど一汁二菜が主流。
江戸時代には精米技術の発達により、庶民でも白米が食べられるようになりました。

午前7時 仕事開始

午前10時ころ 軽食
お昼を迎える前に、おやつ感覚でうどんやお寿司を取るのが江戸の人たちの習慣でした。

江戸の町には、軽食の屋台がたくさんあったようです。

午前12時 昼食
軽食から1時間ほど仕事をしてすぐに昼食です

1日の中でもっとも豪華な食事。
山盛の白米、刺身、味噌汁、漬物など。
江戸時代は1日に白米を5合食べていました。
江戸の庶民の間では、白米は年貢に収められていたので、
白米は「富と権力の象徴」でした。そんな白米を食べる事は江戸の町民にとって幸せなことでした。
そのため喜んで白米ばかり食べていた江戸の人は、
本来、おかずの魚や野菜から摂るべきビタミンが不足し、
脚気(かっけ)になる人が続出。
脚気とは
ビタミン欠乏症の一つであり、ビタミンB1(チアミン)の欠乏によって心不全と末梢神経障害をきたす疾患である。
心不全によって足のむくみ、神経障害によって足のしびれが起きることから脚気と呼ばれる。
心臓機能の低下・不全(衝心、しょうしん)を併発したときは、脚気衝心と呼ばれる。最悪の場合には死亡に至る。
ウィキペディア:脚気より一部抜粋

昼食を終え、再び仕事。

午後2時 二度目の軽食

江戸の町人はお昼の前と夕食前の2回、軽食を摂っていました。

当時、あらゆる産業の中心だった江戸では、長時間働く人が多くいました。
そのため、仕事の合間に食事を摂るようになりました。

1回あたりの食事に時間をかけることができず、その分食べる回数を増やしていたのです。

午後4時 仕事終了

午後7時 菜種油を使った行灯(あんどん)の明かりのもとで夕食
夕食は残ったご飯を使ったお茶漬けが主流。

その後、読書をしたり晩酌をして過ごします。

午後11時 就寝
現代人とほとんど変わらない時間に眠りにつきました。

(太字)菜種油の普及により、夜の時間が5時間も増え、現代の生活習慣へと近づいていきました。

チコちゃんが一番テンションがあがるのは、朝昼晩のどの食事ですか?

チコちゃん:朝ねぇ、だし巻き卵を巻きながら、「お昼と夜、なに食べようかな。」と思うとき。

塚原アナの補足:日本では、白米が流行した江戸において疾患が流行したため「江戸患い」と呼ばれました。
江戸以外の地方の人たちは、ビタミン不足にならず、脚気になる人がほどんといなかった事から由来。

まとめ

●江戸中期までの照明の燃料は「イワシの油」が主流で、夜の活動時間が短いため1日2食だった。
●1700年ころ、菜種油が大量に作れる技術の普及により、菜種油が安く手に入るようになった。
●菜種油が庶民に普及したことで、行灯などの照明器具を使う機会が増えた。
●夜の活動時間が増えた
●夜の活動時間が増える(明かりがともる)ことで1日3食の習慣へと変化した

感想

菜種油はすごい(ぉぃ)
そういえば、敏感肌用の某社の基礎化粧品で保湿に魚の油も原料に含まれているものがあり、
独特のにおいが苦手で、リピーターになれなかったことを思い出しました。

就労時間については、室町時代の人々が羨ましいですね。
私も午前中のみ勤務の「半ドン」がしたいです。


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