【黒木華&石黒賢 vs 5歳児】
「銭湯の富士山」「裏声」「パン」などが今回のキーワードですが。
黒木さん「大好き」。
そしたらです。
\ ボーットイキテンジャネーヨ!! /
13(金)夜7:57[総合]※一部地域を除く
14(土)午前8:15[総合]https://t.co/jzvgrTCy04— NHK広報局 (@NHK_PR) December 12, 2019
なんで銭湯には富士山の絵が多いの?
石黒賢:富士山は日本一で青いから…人間はお湯に入るとボーっとしてくるので、富士山の青空が
チコちゃん:青空バックのね
石黒賢:(富士山のバックの青空を見て)ちょっとクールダウンするんですよ。
チコちゃん:それ言い出した時に、正解になるという感覚あった?
石黒賢:(苦笑い)
チコちゃん:ボーっと生きてんじゃねーよ!
石黒賢:これやりたかったんです。
チコちゃんに叱られたいゲストばかりでやりにくい?
こたえ 最初に銭湯に絵を描いた人が静岡県民だったから
解説:庶民文化研究家 町田忍氏
銭湯に一番最初に富士山の絵が絵がかかれたのは
東京・神田にあったキカイ湯でした。
1912年キカイ湯の経営者の東由松(あずま よしまつ)さんが、
子どもたちに喜んで湯舟に入ってほしいということで、
銭湯の板壁に絵を描くことを発案しました。
大正時代当時の銭湯の壁や床は板張りで質素、殺風景でした。
板壁の絵を描くにあたり、白羽の矢が立ったのは油絵画家の
川越広志郎(かわごえ こうしろう)さんでした。
川越さんは銭湯の壁に富士山の絵を描きました。
画像はあくまでもイメージです
川越さんはなぜ富士山の絵を描いたのでしょうか?
川越さんは富士山がよく見える静岡県掛川市の出身でした。
生まれ育った故郷の富士山の絵を描きました。
川越さんは故郷に相当な思い入れがあったと思われます。
こうして殺風景な銭湯の板壁も、川越さんの富士山の絵のおかげで華やかになりました。
キカイ湯は大繁盛となり、他の銭湯もこぞって富士山の絵を描くようになって行きました。
銭湯の絵はどのように描かれているのか?
銭湯絵師の中島盛夫(なかじまもりお)さん。
描き替えられる前の銭湯の絵は白糸の滝の向こうに富士山が見える絵。
※テレビの画像をそのままに使うことができないのであくまでもイメージです。
今回はどんな富士山を描くのでしょうか?
いきなり前の上にペンキを塗っていく中島さん。
銭湯の絵の描き替えは、営業前の限られた時間で行われるため、
下書きをしている時間がないため、もとの絵を消さずに上から新しい絵を描いていきます。
ペンキの色も赤・青・黄色の色の三原色に加え、白の4色で色んな色を出していきます。
中島さんも「チコちゃんに叱られる」の視聴者だそうです(笑)
朝8時から作業を始めて5時間。白糸の滝の向こうに富士山から逆さ富士へと変貌を遂げました。
画像はあくまでもイメージです。
中島さん曰く、「今日描いた絵が一番。そうでないと帰れないでしょ。」
子どもたちを楽しませたい思いから始まった銭湯の壁画。
東京豊島区では天井に大宇宙の壁画の銭湯もあります。
大阪の銭湯では大阪城とミロのビーナス像
大阪城に行った気分と、ギリシャに行った気分が一度に味わえます。
銭湯のある海老江も大阪城は見えないものの、それほど遠くないと思いますが・・・。
チコちゃんは銭湯にどんな絵を描きたい?
チコちゃん:チャーシューチャーハン
まとめ
●富士山の壁画発祥の銭湯は、東京・神田のキカイ湯
●殺風景で地味な銭湯が華やかになりキカイ湯大繁盛
●この大繁盛をうけて他の銭湯もこぞって富士山の壁画に変えた
●最初に富士山の絵を描いた油絵画家・川越広四郎さんの故郷は静岡県掛川市
●川越さんは故郷への思い入れが強く富士山の絵を描いた
●銭湯画家が絵をかくときのペンキの色は4色だけ
●銭湯の壁画は短時間で仕上げるため下書きはしない
感想
何気なく見ていた富士山の壁画も画家が静岡出身だったから・・。
という、なんとも単純な動機でしたが、
これが鳥取だったら宍道湖を描いていたのでしょうか?
奈良の吉野出身だったら、千本桜?
北海道の釧路出身だったら釧路湿原?
なにがきっかけで後世まで残るかわからないですね。
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