チコちゃんに叱られる 段ボールの「段」ってなに?2月7日放送分

段ボールの「段」ってなに?

草笛光子:わかんないわねぇ

チコちゃん:わかんないところを、何かお答えいただきたい・・。

草笛光子:あの箱を積んでいくと段になっちゃう?

チコちゃん:あの箱をね?段ボール箱を積むと。。

ボーっと生きてんじゃねーよー!!

草笛光子:なぁに?

岡村隆史:いま、チコちゃんに叱られまして・・・

草笛光子:私チコちゃんより80以上、上よ?

チコちゃん:そ、そうなんだけど・・ケンちゃんはどう?

滝藤賢一:チコるチコるチコる

チコちゃん:つまんねーやつだな。

チコちゃん:今から漢字を書いてもらいます「いす」

(草笛光子さんだけ正解)

チコちゃん:岡村と賢ちゃん。ボーっと生きてんじゃねーよー!!

こたえ 井上さんが段々だとと思ったから

解説:レンゴー株式会社(放送ではぼかしてます) 広報部長 後藤光行氏
そもそも、段ボールの「ボール」とはなにか?
ボール紙のボールとはなにか?

段ボールの構造は厚紙二枚に波型の紙が挟まっています。

厚紙は英語でpaperboard(ペーパーボード)と呼ばれています。
このboardが日本人には「ボール」と聞こえたため、日本ではこのボードの事を、
「ボール紙」と呼ぶようになりました。

このボール紙で作られているので段ボールになりました。

段ボールが丈夫な理由

段ボールの断面は上記の画像のように三角形が連続している「トラス構造」と呼ばれています。
四角形と三角形で丈夫さを比較すると、四角のものは指で押すとすぐに崩れますが、三角は崩れにくく、
トラス構造は東京タワーやスカイツリー、陸橋でも使われています。

トラス構造をした紙は外からの衝撃に強いです。

このトラス構造の紙が1870年代アメリカで使用されるようになりました。
日本ではトラス構造の紙のことを明治時代「なまこ紙」と呼んでいました。

形状が海の生き物のなまこに似ているため「なまこ紙」と呼ばれていたと考えられます。

このなまこ紙と呼ばれていたものを、レンゴー株式会社創業者、井上貞治郎氏が「段ボール」と名付けました。

なぜ段なのか?⇒段々だからとの事です。

段ボールの名づけ親、井上貞治郎とは

井上貞治郎
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

いのうえ ていじろう
井上 貞治郎
生誕 長谷川 貞治郎
1881年8月16日
日本の旗 日本
兵庫県姫路市
死没 1963年11月10日(82歳没)
国籍 日本の旗 日本
別名 日本の段ボールの父
職業 会社経営者
時代 明治 – 昭和
著名な実績 段ボールの実用新案取得
段ボールの改良
聨合紙器株式会社設立
井上 貞治郎(いのうえ ていじろう、明治14年(1881年)8月16日 – 昭和38年(1963年)11月10日)は、日本の実業家。「段ボール」の実用新案を取得。大量生産と強固な段ボール箱の開発に成功し、聨合紙器(現社名レンゴー)を設立した。「日本の段ボールの父」と評される。経歴
兵庫県姫路市郊外で農業を営む長谷川家の三男として生まれた[1]。2歳の時に、兵役を逃れるため遠縁にあたる井上家の死籍相続人になる。

高等小学校を卒業後、1895年から神戸の商家で丁稚を始める。その後中国料理店、パン屋、石炭屋等職を転々とする。1905年には妻、お雪と別れ、1人満州に旅立つ。

1909年に放浪の旅から立ち直り、東京で「三盛舎」(後に「三成社」と改名)を創業。国産ダンボール紙を技術
引用:Wikipedia

貞治郎が会社を興すまでついた職業は14年で
洋紙店、散髪屋、洋服屋、材木屋、中華料理店、銭湯、パン屋、うどん屋、砂鉄屋、石炭屋など34もの仕事に就きました、
そして、住まいも転々とし、神戸、大阪、横浜、満州まで及んだもののすべて失敗し、

28歳の時にこのままではいけないと、占い師の元を訪ね、
紙の仕事をするようにと勧められます。

貞治郎はまだ国産がなかったなまこ紙に目を付けます。

明治時代のなまこ紙は、非常に高価で普及していませんでした。
貞治郎は「いいなまこ紙があれば、絶対に売れる。」と独学で包装紙づくりを始めました。

貞治郎はオリジナルでなまこ紙の製造機を作り、試作を繰り返しました。
しかし、波が均等にならず凸凹になりました。

何度か試作を苦労の末重ねた結果、ボール紙を湿らせて七輪の熱であぶりながら、型をつける方法で、
均等の波型が完成しました。これで日本で初めて良質ななまこ紙が完成しました。

このなまこ紙を、今までとは全く違う製品として世に送り出そうとしました。
「波型紙」「波状紙」「弾力紙」など考えた末、語呂がよくて見た目も段々ということで、
「段ボール」と名付けたそうです。

国産初の段ボールは評判になり、香水を入れる箱を作ってほしいという注文が入り、
段ボール箱の作成が始まりました。それまでの「ペーパーボード」は波型の紙に厚紙が片面だけのものでしたが、
段ボールは厚紙が両面ついていて、国産の段ボールはより衝撃に強い箱になったので、
商品梱包のために飛ぶように売れました。段ボールは日本中に普及し、貞治郎の会社は段ボールで日本一になり、
世界にも100以上の工場を持つ会社に成長しました。

チコちゃんの家の段ボールには何が入っているの?

チコちゃん:過去の栄光です。

感想

段ボールが無かったら、今の流通業界ってどうなってるのか??
そう思ったら、井上貞治郎さんの功績は非常に大きいと思います。

衣食住はもちろん、今使っているパソコンの持ち運びもどうなっていたのか??
段ボールのすごさを再認識できたと思います。

貞治郎さんありがとうございます。


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