チコちゃんに叱られる おでんの「でん」って何?2月7日放送分

おでんの「でん」って何?

滝藤賢一:ひらがなですね。…田んぼの田…。

チコちゃん:おっ!

滝藤賢一:田んぼの田…伝わるにします。…代々伝わってきた、家庭の味をふふっ、今の時代に伝えている「でん」

チコちゃん:ボーっと生きてんじゃねーよ!

チコちゃん:田で良かったのに~。

滝藤賢一:おでんを区切ってる…おでんを分けてる容器…そうですよ。アレですか?

チコちゃん:そうじゃないのよ~。

こたえ 豆腐

解説:郷土料理に詳しい 料理研究家 渡辺あきこ氏

おでんの「でん」は豆腐のことです。
串に刺して焼いた豆腐のことを田楽(でんがく)と言います。
この田楽の田からおでんになりました。

田楽とは元々食べ物の名前ではなく、平安時代に豊穣祈願(ほうじょうきがん)のために踊られた舞の事を指します。
この踊ってる姿が、串を刺した豆腐に似ていたことから、串刺しの豆腐を田楽と呼ぶようになりました。

この田楽が宮中に入るようになり、宮中に仕える女性が田楽を呼ぶときに、
上品な言葉遣いで頭に「お」をつけて「お田楽」と呼ばれました。

この「お田楽」を省略する呼び方が「おでん」と呼ばれました。

おでんは江戸時代になると屋台で売られて人気が出ました。
おでんの種類も、最初は豆腐だけでしたが、里芋、ナス、こんにゃく、魚など増えていきました。
このころのおでんは串に刺して焼いたものでした。

現在の煮込みおでんに変わったきっかけとは

おでんが鍋で煮込む仕様に変わったのは、おそらく江戸時代後期に、江戸から近い場所(千葉県・野田市と銚子市)で、
しょう油の製造が盛んになったことがきっかけで、煮込みおでんが誕生したのではないかと考えられます。

江戸でしか食べられてなかった煮込みおでんが、広まったのはなぜか?
煮込みおでんは、大正時代に江戸の料理人が大阪に持ち込みました。

当時の関西のおでんは田楽でした。大阪では関西のおでんと区別するために、
江戸からのおでんは「関東煮(かんとうだき)」と呼ばれました。

この関東煮のしょうゆ味は、関西人の口には合わず、関西風にアレンジされました。
しょう油味から、昆布から取った出汁で煮込み、更に具材はたこ、牛すじ、クジラの舌などが加わり、
関東煮は関西で人気が出ました。

この関西風味にアレンジされた関東煮が再び関東へ広まるきっかけは、1923年(大正12年)の関東大震災でした。
この時、関東へ関西の料理人が炊き出しのボランティアに出向き、関西風にアレンジされた関東煮が振舞われました。

温かいおでんは震災で冷え切った人の心と体を癒したのでした。

今では全国に広がり、地域によってさまざまなおでんがあります。

渡辺先生おススメのおでん

石川県・金沢風おでん
…魚介の出汁が効いたつゆと、バイ貝、車麩(くるまぶ)など変わった具材を使用。カニ面(カニヅラ)は金沢おでんの具材の王様です。

愛知県・名古屋風おでん
…おでんは甘辛い味噌煮込みおでん

沖縄県・ウチナーおでん
…テビチ(豚足)、ソーキ(骨付きばら肉)など豚肉が主役、中でもソーセージは欠かせません。肉とかつおだしのコラボが美味しいとの事です。

レポーター語彙力なし。

チコちゃんはおでんにどんな具を入れたい?

チコちゃん:きんちゃくチャーハンとロールチャーハン

感想

田楽が起源になりそうだとうっすら思っていましたが、
どこでどうつながるのかが、これでスッキリしました。

レポーター語彙力なさすぎ、これなら私が立候補したい(笑)


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