【#チコちゃんに叱られる!】
▽14日(金) 午後7:57〔総合〕「大根おろしの不思議」「お風呂と湯船」「エスカレーターの謎」、キョエちゃんは静岡県に、ある名産地を訪ねます☆
#岡村隆史 #チコちゃんhttps://t.co/U5qcJG9vAA— NHK大阪放送局 (@nhk_osaka_JOBK) February 13, 2020
なんで浴槽の事を湯船っていうの?
岡村隆史:あの、やっぱり~、こう・・。えっ
チコちゃん:「えっ」って言っちゃったわね。やっぱりね。
岡村隆史:船乗りが・あの・・。(中略)船にそういう水をためて、体をぬくめたりであったり。
この汚れを取るということをするためにぃ~ですね。
チコちゃん:政治家か
岡村隆史:船の中に
チコちゃん:船の中に・・あるのはいいんだけど、船乗り用のやつなの?
岡村隆史:いや、そうとは限りません。
チコちゃん:ひとまず言わせてください・・ボーっと生きてんじゃねーよー!!・・・カスってんだけどね。
こたえ 湯舟という船があったから
解説:庶民文化研究家 町田忍氏
湯舟とは江戸時代に船の内部に浴槽を作り、岸とか川筋に船を寄せて、
入浴させいていた船のことを言います。
「湯を積んだ船」ということで湯船と呼ばれました。
湯船の絵は「和漢船用集」という解説書に掲載されています。
湯船の全長は約10メートルで屋形船のでいう座敷の部分が浴室になっているものになります。
湯船は岸に着いたときにほら貝を吹いて、周辺住民に船が着いた事を知らせました。
浴室は混浴だったと考えられます。
なぜ湯船はできたのか
江戸の街は水道の整備が不十分で自宅にお風呂があるのは、上級武士だけでした。
当時の庶民のために生まれたのが銭湯です。
最初に登場したのは蒸し風呂で今でいうサウナそのものでした。
しかし、それではたくさんの人が一度に入れないので、多くの人が同時に入れる、
浴槽のある銭湯が出来ました。
これらの銭湯は都心部に集中していて、郊外に住んでる人はなかなか銭湯にはいけませんでした。
そんな郊外の人に向けて作られたのが移動の出来る銭湯の湯船でした。
当時の江戸は地方から海産物や木材などを積んだ船が行き来し、街には運河や水路が巡らされていて、
湯船はいたるところで商売されてました。
当時の江戸の銭湯は570軒に対し、湯船は100軒ほどあったと考えられてます。
湯船は郊外の人に人気がありました。料金も銭湯が8文(現在に換算すると160円)に対し、
湯船は4文(現在に換算すると80円)と銭湯より安い値段で入浴が出来ました。
湯船が銭湯より安い値段で提供できた理由として、水がすぐに汲み上げることができる環境と、
設備もシンプルな分維持費にお金がかからなかったためと考えられてます。
当時の皮の水は汚染されておらず、そのままくみ上げてお湯を沸かせば良かったのです。
郊外に住む人にとって、浴槽は湯船だったため、浴槽の意味で湯船という言葉が全国に広がっていったと考えられています。
チコちゃんの好きなお風呂はどこかな?
チコちゃん:大阪のトミーズ雅さんの家のお風呂。(すごく大きく大人三人余裕で入れる浴槽との事)