チコちゃんに叱られる三角形のサンドイッチが多いのはなぜ?3月27日放送分

人によっては、毎日パン屋やコンビニで見かけるアレがなぜ三角なのかが分かります。

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三角形のサンドイッチが多いのはなぜ?

岡村隆史:食べやすいって言うね。この、四角やとそのままポンとお皿に置くしかないじゃないですか。
三角にすることによって、縦に置けるようになりましたから取りやすい
チコちゃん:取りやすくするため…ボーっと生きてんじゃねーよ!

こたえ 茂がパンを斜めに切ったから

解説:東京・池袋 飲食店経営者 大林芳彰(おおばやしよしあき)氏

大林氏の祖父、大林茂氏が四角いサンドイッチを斜めに切って三角形にしました。

パン屋さんを営んでいた大林茂氏は日本に三角形のサンドイッチを広めました。
明治時代に日本に入って来たサンドイッチは長方形が主流でした。

昭和25年頃大林茂氏が台東区のパン屋さんに勤めていた時の奇跡が、
三角形のサンドイッチにつながっていきます。

たぶんこうだったんじゃないか劇場~クリスマスの奇跡~

サブタイトル:サンカクロースがやってきた。
出演:山西惇 松永玲子(大林夫婦役)

昭和25年、当時33歳の茂はパン屋さんで新作開発を担当していました。
毎日常連客でにぎわう人気の店でしたが、サンドイッチだけは売れませんでした。

売れ残ったサンドイッチはお土産に持って帰りました。

そして、ある日あるお客さんがサンドイッチを見て
「何が入ってるか分からない」と言い、
サンドイッチの中身が見えるようにすればいいと思いつきます。

茂は早速、横からも中身が見えるサンドイッチを考案しましたが、
食べづらく中身がこぼれてしまいました。

昭和25年12月25日、大林家ではクリスマスを祝うため、
大きなホールケーキを食卓に出しました。
奥さんのたか子さんがが包丁で切って取り分けると、
(たぶんこうだったんじゃないかで)ケーキの中身にイチゴが入ってないと、
大騒ぎし始めました。

それを見た茂はサンドイッチを斜めにカットして、中身が見える事を思いつきます。
三角形のサンドイッチは持ちやすく、中身がこぼれにくくなってました。

大林茂の発明で三角形のサンドイッチが誕生しました。

更に今まで箱詰めだったサンドイッチを紙でくるんで陳列するようにすると、
今まで売れ残ってたサンドイッチは大ヒット商品へと生まれ変わりました。

この事はウィキペディアでも紹介されています。

三角形に切られたサンドイッチについては、昭和36年(1961年)
東京の茗荷谷駅近くにあった「フレンパン(婦連パン小石川販売所)」が
「フレンサンドイッチ」という名称で販売し始めたものを発祥とする。
後楽園球場にサンドイッチを売りに行っていた同店の主人が、
「中身が見えるサンドイッチがあれば便利だな」という客の一言から考案したものである。
同店がすぐに特許を取得したが、5年後には放棄したため、全国に広まった。
以降、日本の店舗販売でよく見られるようになった。
引用:Wikipediaより一部抜粋

茂はその後独立して1961年(昭和36年)に茗荷谷でお店を構えました。
当時のサンドイッチの値段は約20円。
当時のサラリーマンの平均月収が2万円の時代に、お店のひと月の売り上げが30万円でした。

三角形のサンドイッチが日本全国に広まるきっかけ

1964年の東京オリンピック。
当時軽食といえば、おにぎりが主流でした。

世界中の人が集まるオリンピックの会場で三角形のサンドイッチを売りたいと、
他のパン職人が、茂の元に殺到しました。

茂はパン職人たちに、三角形のサンドイッチを作ることを許可しました。
茂もオリンピックの会場で1日1000個販売しました。

チコちゃんはどんなサンドイッチが好き?
チコちゃん:チコはね。うっすら味噌とマヨネーズを塗って、チーズ乗せて焼いたサンドイッチがいいわぁ。
合うのよ味噌とマヨネーズとチーズは。

塚原アナからの補足:サンドイッチは明治時代に日本に入ってきて「軍隊料理法(明治43年)」に掲載。
種類もハムサンドイッチと、牛肉のサンドイッチの2種類のみでした。

感想

三角サンドイッチは、幼稚園の給食で食べた記憶が蘇りました。

中身の見えないサンドイッチは想像つかないですね。

そして、チコちゃんは5歳とは思えないサンドイッチの好み。

2020年の東京オリンピックでも新しい食べ物がブームになる可能性もありましたが、
すべてはコロナが・・・・・コロナのバカヤロー!!!


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