チコちゃんに叱られる なんでお城にしゃちほこは乗ってるの?4月10日放送分

大阪城や名古屋城の天守にのってるカッコいいものについてお勉強です。

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なんでお城にしゃちほこは乗ってるの?

岡村隆史:しゃちほこは上から来る奴(敵)を、来させにくくするためのものである。

チコちゃん:正解率何%だと思いますか?

岡村隆史:30%

チコちゃん:あるか!ボーっと生きてんじゃねーよ!

西山茉希:(自分から発言)しゃちほこはお城によって違くって、『その城をとったどー!』って勝った時に、しゃちほこをとって、
…勝ったら取れるやつ。

チコちゃん:騎馬戦の帽子みたいな

岡村隆史:あんなん(しゃちほこ)取ってる人見た事ないですよ~

こたえ 織田信長へのリスペクト

解説:広島大学 三浦 正幸(みうら まさゆき)名誉教授

三浦教授は今年の大河ドラマ「麒麟が来る」の建築考証も担当されてます。

初めてのしゃちほこは

初めてしゃちほこを乗せたのは、織田信長の安土城と言われています。

現在、私たちが城だと思っているのは、織田信長が作り出したものです。

初めてのしゃちほこは、1579年 織田信長が作った安土城(現在の滋賀県に城跡あり)

出典:https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000002626.000002535.html

お城はそもそも、敵の攻撃から守るための要塞です。

信長以前のお城は、土で出来ていました。
現在私たちが「お城」と思っているような、高い石垣や天守もありませんでした。

お城は元々山の地形を生かして敵の攻撃を防ぐ、山城が主流でした。

織田信長の草案は
「城の立派さを見せつけて相手を屈服させる」
安土城はそれまでのお城の概念を覆す、革命的な城だったのです。

信長はなぜ「しゃちほこ」を乗せた?

信長は中国文化に非常に傾倒してました。

中国の皇帝が住む宮殿の屋根に竜が乗っていました。

信長は「自分の城にあの竜(中国の宮殿に乗る竜)を乗せたい」と思いました。
中国の宮殿に乗る竜は、よく見ると胴体がなく、首から上だけの竜の頭部が乗っていました。

武士にとっては「首から上=打ち首」のようなもので縁起が悪かったので、
信長が目を付けたのが鯱(しゃち)でした。

鯱は頭が虎もしくは竜で、胴体が魚の中国の空想の生き物です。
鯱を屋根の上に乗せた時に、尾っぽを上の方にせり上げると威勢が良くてカッコいい。
しかも、中国の武器「矛(ほこ)」に似ているので「鯱矛(しゃちほこ)」

極めて中国的で威勢が良くて格好いい。
信長にとって「しゃちほこ」は最も理想的でした。

また、鯱は火災の時に水を出して火を消すという伝説がありました。

1579年 3年がかりの工事を経て安土城完成。
安土城は天下統一のシンボルとなるはずでした。

しかし、1582年本能寺の変で信長はこの世を去りました。
同年、安土城のしゃちほこも焼失。

信長の天下統一の思いを引き継いだのは、豊臣秀吉でした。

豊臣秀吉が城を作るときに、安土城のスタイルを取り入れていました。
1585年大阪城の天守完成
「自分こそ、信長の後継者」という事を知ら締めました。

豊臣秀吉に従える大名たちにも、信長スタイルの城を作らせました。

城の形をどうするかは、支配者が決める事でしゃちほこの乗った城が日本中に広まりました。

信長に対するリスペクトで日本中のお城にしゃちほこが乗るようになったのです。

珍しいしゃちほこ

口紅を差したようなしゃちほこは広島城にありました。
しゃちほこが11もあるのは姫路城です。
奇跡のしゃちほこ江戸城(皇居)にあります。江戸城は東京大空襲で焼失しましたが、
しゃちほこは奇跡的に助かり、現在も皇居の大手門で見ることが出来ます。

三浦教授曰く「大河ドラマ『麒麟が来る』も安土城以降のしゃちほこに注目して見てもらうと、
大河ドラマはより一層楽しめると思います」

チコちゃんが天下統一したらお城に何を乗せる?

チコちゃん:そうねぇ。紅しょうがかな


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