チコちゃんに叱られる ブルーシートはなぜ青なの? 4月24日放送分

今ではお花見の風物詩であったり、
個人的には震災直後の神戸の街で見かけたアレがなぜ青いのかがわかります。

番組公式Twitter

ブルーシートはなぜ青なの?

鈴木雅之:全然わかんないです。

チコちゃん:全然わかんないなら言わせてもらいます。

ボーっと生きてんじゃねーよ!

こたえ バケツが青かったから

解説:萩原工業株式会社 会長 萩原 邦章(はぎわら くにあき)氏
(番組では岡山・倉敷市 ブルーシートメーカー会長と紹介)

ブルーシートの起源

元々のブルーシートは青くありませんでした。

会長曰く「実は、安全だというイメージをつくるために青に変えたんです。」

ブルーシートの素材は、主にポリエチレンです。

ブルーシートが出来るまで
1.ポリエチレンで作った糸で織る
2.防水のためにラミネートコーティングをする(コーティングの際に青の顔料を混ぜるため青くなります)

ブルーシートの用途は、現在は工事現場や農作業で使われていますが、
シートを作るきっかけとなったのは、トラックの荷台にかける幌でした。

nannziさんによる写真ACからの写真

幌は綿で作った思い布でした。

幌をもっと軽くできないかと、ポリエチレンの幌を開発しました。
昭和30年頃、軽く丈夫な糸を開発し、シートは完成しました。

当時のシートの色は、大手の運輸会社に合わせたオレンジ色のシートでした。
しかしシートを幌として実用化するための長距離試験では、風圧に弱く、
すぐに破れてしまい、幌として使うことは断念。

しかし、シートの利用価値に気づき、昭和40年代に「万能シート」として発売しました。
先代社長 萩原賦一(はぎはらふいち)氏が発売し、
軽くて丈夫なシートとして順調に普及していきました。

ところが、ある問題が発生して色を変えなければいけなくなりました。

万能シートの色を変えなければいけなくなった事情

~たぶんこうだったんじゃないか劇場~
備前岡山お色変え騒動

出演:池田鉄洋(萩原賦一)

昭和49年(1974年)萩原工業社内
当時の社長あてに電話が入り「万能シートに鉛が入ってる」とクレームが入りました。
シートには鉛が入っていませんでしたが、オレンジの顔料にはとても少ない濃度の黄鉛が使われていました。

黄鉛が使われていたため、問題視されました。
ここから遡ること昭和42年(1967年)公害対策基本法制定

昭和40年代は公害が社会問題になっていました。
原因は当時の製造過程で発生した有害物質でした。
硫黄酸化物、水銀、カドミウム、四アルキル鉛などが人体に有害になる物質です。

当時の各企業は公害の原因になりうる物質の使用は自主規制してました。
シートメーカーも例外ではありませんでした。

黄鉛は人体には影響はありませんでしたが、将来的に燃やした場合、
危険が伴うかもしれないと、萩原氏の会社では黄鉛を使わないことにしました。

しかし、黄鉛を含まないで様々な天候に耐えうる耐候性があり低コストの顔料はなかなか見つかりませんでした。

そんな中、業界関係者が集まり、どんな顔料を使うか話し合いの場が持たれました。
萩原社長は今までの黄鉛を使わないことは賛成だが、害のない有機顔料のオレンジを使ったら、
今までのコストの三倍になると主張。

話し合いの場で、大手企業部長暴れん坊部長(目黒祐樹)は、
徳川三代目将軍家光の生まれ変わりなのである(ホンマか)

暴れん坊部長は、シートの色をオレンジから別の色にしたらどうかと提案。

社長はせっかくオレンジシートとして認知されているのを変えることに反対します。

暴れん坊部長は「イメージチェンジ…害のない安全で安心な新しい物と思ってもらうシートを作ったらどうだい」
とさらに言いました。

(言葉遣いが変・・・)

当時は各社から出ているシートはオレンジシートでした。
萩原社長は長い事外に出していても、変色しないシートの色はないか考えます。

暴れん坊部長はプラスチックのバケツと同じ色の顔料を使うことを提案します。

青の顔料は耐候性に優れ、コストも安くバケツやホースの原料にも使われていました。

青の顔料のセールスポイント
1.耐候性にすぐれている
2.経済的
3.無害であることをアピールできる
イメージチェンジとして使われたのが青の顔料でした。

青いシートが発売され認知されるまで、3年ほどかかりましたが「ブルーシート」として広まりました。
(あくまでも「たぶんこうだったんじゃないか」なエピソードです)

チコちゃんが青になればいいって思うものってなにかある?

チコちゃん:赤井英和

チコちゃんに叱られる ブルーシートはなぜ青いの?感想

シートの色にもちゃんとした理由があるという事が分かり勉強になりますね。
「たぶんこうだったんじゃないか劇場」がだんだん時代劇かかってきて、
徳川家光の生まれ変わりとか強引な展開は毎度毎度わらかして頂きます。


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