上野動物園で5年ぶりに赤ちゃんパンダが生まれました。
性別もメスとわかりました。
小池百合子知事は「性別がわかったら、パンダの名前を一般公募したい。」とニュースで仰ったように記憶してます。
いずれ、正式に名づけ親募集の告知があると思いますので、先に検討してみましょう。
2.パンダの命名エトセトラ
1.上野のパンダの歴史
〇1972年日中国交の回復を記念して雄のカンカン(康康)、メスのランラン(蘭蘭)来園。
日本中が大フィーバー(古い?)となる。以後、年間入場者数が毎年700万人超えになったとか。
〇1979年メスのランラン死亡。この時お腹に赤ちゃんがいた事が判明し、悲しみがさらに広がる。
ランラン死亡時は追悼番組まで放映されてました。
〇翌年1980年メスのパンダ、ホアンホアン(歓歓)来園。「ニーハオホアンホアン」のお面を雑誌で見た記憶があったかなぁ。
〇同年1980年雄のカンカン死亡。後年このことを取り扱ったテレビ番組で「ランランが居なくなって寂しくて死んじゃったのではないか」と推測されてました。
本当にそうなら、切ないですね(´;ω;`)ウッ…
〇1982年北京より雄のフェイフェイ(飛飛)来園。
〇1985年ホアンホアンとフェイフェイの間にチュチュ(初初)が初めての日本生まれのパンダとなるが、ホアンホアンの下敷きになり45時間後に死亡。
ここらへんにもパンダの飼育のむつかしさを感じます。大人のパンダは100キロ超なのに対し、生まれて間もないパンダは200グラム以下ですから。
体重差500倍ですからね・・・。
〇1986年6月1日メスパンダのトントン(童童)誕生。無事一般公開までたどり着き、名前も一般公募。27万通の応募があったそうです。
〇1988年6月23日トントンの弟ユウユウ(悠悠)誕生。
〇1992年ユウユウ日中親善大使として中国に旅立ち、代わりにリンリン(陵陵)来園。
リンリンは来日前に中国とメキシコを飛行機で3往復した経験のあるパンダ。世界一飛行機に乗ったパンダかもしれないとの事です。
〇1994年フェイフェイ死亡(推定27歳)
〇1997年ホアンホアン死亡(推定25歳)
〇2000年トントン死亡(14歳と1か月)まだまだ若かったのに残念ですね。
〇2004年ユウユウ死亡(15歳と9か月)察するに北京でお亡くなりになったのでしょう。
〇2003年12月~2005年9月 メキシコの動物園からシュアンシュアン期間限定の来日。
〇2008年リンリン死亡(22歳7か月)
この時から上野からパンダが居なくなりました。
〇2011年中国より「シンシン」「リーリー」来日。上野にパンダが戻ってきました。
〇2012年「シンシン」「リーリー」の間に赤ちゃん誕生するも、6日間の命。肺炎で亡くなりました。
〇2017年6月12日。2頭目のパンダ誕生。メスと判明。
名づけ親公募の開始を待つばかり・・・。
一般公開は生後半年を目処という事なので、12月頃までには「お名前募集」はあるでしょうね。
2.パンダの命名エトセトラ
〇1986年当時放送されてたラジオ「サンプラザ中野(現在はサンプラザ中野くん)のオールナイトニッポン」で「上野のパンダをズイズイにしよう」という企画があがり、サンプラザ中野さんの当時の口癖「ズイズイ=どんどんという意味らしい。」をパンダの名前にするために一般公募でラジオのリスナーに「上野動物園のパンダ募集に『ズイズイ』と書いて応募してほしい」と呼びかけがありました。私もおぼろげながら覚えてます。当時のサンプラザさんはやたらと「ずいずいずいずい」と連呼してました。
この時の一般公募は27万通集まり、ズイズイは得票数第2位だったものの組織票とわかり却下されたとか。。。。
サンちゃん、無念!!
他に、ズイズイの漢字の意味があまり良くないって説もあったような気がします。ズイズイって??漢字って??
私が思い浮かぶのは遣隋使の「隋」と、随筆の「随」くらいかな。骨髄の髄はお名前にはふさわしくないような(;・∀・)
トントン(童童)で良かった。語感も文字も可愛らしいですもんね。
〇数年前に「ワンナイR&R」という番組で、宮迫博之とガレッジセールゴリが双子のパンダになるコントがあり「ゴリゴリ」「サコサコ」という名前でした。
うーん、今回のパンダ命名には個人的には向いてないかなあ。メスパンダはもうちょっと可愛い語感の方が良いような気がします。
〇2012年のパンダ誕生に辺り、当時の都知事が「センセン」「カクカク」・・・デリケートな問題なので、これ以上は自粛させて頂きます(笑)
今度は大胆予想をしていきます。