視聴者からの素朴な疑問から出てきたテーマです。
私もいまだに分からない・・・。
人一倍はなんで人二倍って言わないの?
岡村隆史:人一倍・・えーっ?これは偉い人のミスだった。
チコちゃん:ボーっと生きてんじゃねーよ!
こたえ 昔は一倍が二倍だったから
解説:日本国語大辞典 元編集長 神永 曉(かみなが さとる)氏
明治初期までは「一倍」は「二倍」の意味でした。
現在 リンゴ1個の「一倍」はリンゴ1個
明治初期まで リンゴ1個の「一倍」はリンゴ2個
…っと表現されていました。
『今昔物語集 巻第十四』
お坊さんが金貸しとなり、自分の婿にお金を貸すという物語。
1年で借りたお金が(返済は)2倍になるという高利貸しなのですが、
その部分を「一倍」という言葉で表現しています。
明治初期まで
「一倍」=×2
人一倍頑張ったというのは、他人に比べて二倍頑張ったという事になります。
明治以前は「倍」の他に「層倍」という言葉もありました。
「×1」=「層倍」
「×2」=「一倍」もしくは「二層倍」
「×3」=「二倍」もしくは「三層倍」
「×4」=「三倍」もしくは「四層倍」
明治時代に西洋の文化が入ってくるようになってから
「×2」=「二倍」になっていきました。
明治以前
リンゴ1個の「一倍」=リンゴ2個
↓
×2
明治以降
リンゴ1個の「二倍」=リンゴ2個
↓
×2
当時の人々は恐らく混乱したことでしょう。
そこで、明治8年12月4日公布の「太政官布告」で
「一倍」の表記をすべて「二倍」に改正しました。
明治8年に「一倍」表記は禁止になりましたが、「人一倍」という言葉はそのまま使用されました。
「人一倍」は西洋文化が導入されてもそのまま使われましたが、
明治時代以前は時間を「子の刻」「寅の刻」と言ったように、
干支をと同じ表記で「12刻」がありました。昼の6つの刻と夜の6つの刻と合わせて
12刻=2×6⇒二六時中
しかし明治6年24時間制が取り入れられると、
1日を24時間に分けました。
24時間=4×6⇒四六時中
西洋の思想が日本語に変化をもたらしました。
それまで日本になかった概念が存在するため、
その概念を表現するための日本語を作り出しました。
英語の「speech」という言葉。
民衆の前で自らの主張を述べることを指します。
ところが当時の日本では、自分の主張を訴えるのは紙に書いて文章にして伝えるのが一般的でした。そこで、日本ではお坊さんが人前で説法する様子をあらわす「演説」という言葉を当てました。
この「演説」という言葉を定着させたのが、福沢諭吉でした。
「学問ノススメ」では、
「演説」とは英語にて「スピイチ」と言い
大勢の人を会して説を述べ、席上にて我思うところを伝うる法なり。
と説明されています。
他に「自由」「討論」「経済」「動物園」も福沢諭吉によって定着した言葉と言われています。
「LOVE」は「愛」という言葉が当てられていますが、
「愛」は元々仏教用語で執着をあらわす言葉でした。
愛は今のように「いとおしむ」という意味で使われていませんでした。
現在のような意味でつかわれるようになったのも、明治以降からと言われています。
当時は「愛している」などの直接的な表現は避けられていました。
夏目漱石は英語の教師をしていた時に
「I love you.」を「月がきれいですね」と訳したとか訳さなかったとか。
チコちゃんがこれまでに人一倍頑張ったって言えることはなにかな?
チコちゃん:流し打ち
感想
現代の日本人ややたらカタカナを使う事に苦言を述べた神永さん。
「東京アラート」「なんちゃらスキーム」「アイデンティティ」
昭和生まれの私にはついていけない言葉がいっぱいです。
・・・なんとかなりませんでしょうか。