これは現在ではなく、過去に在籍した大手のコールセンターでの出来事です。
赤裸々に書くと、情報漏洩になりかねないので、多少脚色しながら書きます。
1.働く上での将来を見据えたつもりだった
決してその頃も若いとは言えなかったけど、将来を見据えてテレオペの仕事を選んだつもりだった。
テレオペの仕事なら50、60になっても働き口があるからキャリアを積んでおこうと思ったのがきっかけだった。
パソコンもExcelもWordも資格は持っていたけど、同じスキルがあるなら若い人の方が採用されるだろうと、派遣の更新が切れるたびに思い知らされたからでもあった。
それに、テレオペの給料は週5日8時間働いたら、一般事務のそれより手取り2.3万は多く入るので、大したスキルも学歴もない私にも高給取りになれるチャンスだと思った。
自分の性格が適しているとは1ミリも思ってなかったけど・・・。
2.座学やロープレの頃
1か月近く毎日毎日そこの部署に必要な知識を座学で詰め込まれた。
毎日毎日振り返りの小テスト。綺麗なビルに綺麗なオフィス。オシャレな会社周辺。
実際の業務以外は本当に魅力的な環境だった。これがちっぽけな小汚い雑居ビルで、狭い執務室だったらその閉塞感だけでお手上げだっただろう。
座学はしんどかったけど、それでも現場でカスタマーサービスの業務に就くことを思えば、罵声を浴びせられないだけ、理不尽な思いをしないだけマシだった。
だから「研修マニア」の気持ちもわからないわけではない。
ただ、職務経歴として短期で研修ばかりってどう考えても好印象にはならないと思えた。
ロープレもカミカミでうまく話せなかったけど、スプリクト通りに話せなくても最低限必要な項を伝えられたらそれでよかった。あとは現場でのフィードバックでスキルを上げて行くしかなかった。
3.現場デビュー
研修を経て、配属先が決まり現場デビュー。
隣でチーフにモニタリングされながら、実際に対応する。
お客様だというだけで、偉そうに威張ってくる人が嫌いだった。
嫌いでもSV曰く「その人が支払う料金が私たちの給料になる」と言われ、確かにそうだけど・・・。腑に落ちない自分がいた。
応対に耐え切れず、トイレやロッカーで号泣して先輩になだめられているオペレーターを何人か見かけた。私も何度か心が壊れそうになったことがある。
そして翌日から来なくなる人も何人もいた。
「若い子はいいな。すぐに次が見つかるもんね。」宝くじでも当たれば、その日のうちにや辞めたいと何度も思った。
4.愛の説教部屋
大手のコールセンターは定期的に応対品質をチェックされる。
私は、この応対品質を管理する部屋を勝手に「愛の説教部屋」と呼んでた。
この時間だけは現場で電話応対をしなくていいのは有難い反面、自分の応対した通話の録音を聞いてあれこれダメ出しをされてのフィードバック。
自分の声の世間での聞こえ方を知ってショックを受けるのもこの時。
恐らく声を出す仕事をする人は、客観的な自分の声を知る時に大抵の人はショックを受けるのではないだろうか?自分の声も、話し方も聞いてガッカリしっぱなし。
「この質問に対しては、こう返しなさい。」とか「この話し方はキツイ印象」など細かいチェックが入る。
後に、別のコールセンターに恐る恐る復帰したときに「ここのコールセンターはホンマにきつかったんや」と思い知り、他のオペレーターの間違った言葉遣いにイライラするようになったのも、ここのセンターでビシバシ教育を受けたからかもしれない。
当時の派遣元の営業さんからも「ここのコールセンターは1年続けたら立派です」と言われた場所だった。
すぐやめる人も多かったけど、5年10年と在籍してる方もいらして、どうして続けられるのか不思議で仕方なかった。
5.先輩のクレーマー乗り切り術
配属先の人間関係の良さだけで、私はなんとか難所の1年を超えて丸2年を迎えようとしてた頃、あまり成長もない私は先輩と話をする機会があった。
「ずっと長く働いていける秘訣はなんですか?私はクレーマーや理不尽に怒るお客さんが嫌です。」とホンネをぶつけてみた。
先輩曰く「内心『私はここまで酷い人間じゃなくて良かった。』って思ってる。」「同じレベルになって怒ったら負けやで」
先輩も完全に聞き流せてるわけではなく、彼ら彼女らなりに落としどころを見つけて頑張っているのだと知った。
聞き流せるスキルがあり、嫌なことはその日のうちに忘れられる人が一番向いてると思う。
私はこれがなかなかできなくて、本当に気苦労が絶えなかった。
休日に遠出をしたり、食べ歩きをすることでストレスを発散してた。
「辞めたい」って気持ちは、デビュー前からずっと背中合わせで抱えてた。
続きは次の記事で書きます。