ファミリーヒストリ―にパンダの彩浜紹介される!1月6日放送分


ファミリーヒストリ―彩浜

彩浜について

彩浜(さいひん)2018年8月14日生まれ

白浜アドベンチャーワールドにいます。

彩浜の誕生は世界中の注目を集めました。
永明15番目の子ども、中国以外でこれほどの大家族はここだけです。

白浜で生まれたパンダは名前は全員「浜」が付きます。

こちらは彩浜が生まれる前の家系図です

パンダの祖先について、今まで調べたことがありませんでした。。

ファミリーヒストリ―は人間限定とは言ってないので、今回初めて人間以外で初めてパンダの歴史をたどりました。

彩浜の父・永明(エイメイ)のルーツ

彩浜の父、永明からたどります。
永明の生まれた北京。
ここに中国全土の206の動物園を束ねる中国動物園協会があります。
ここにはすべてのパンダの血統が分かるようになっています。

ここにスタッドブックがあり、この本はパンダのルーツがたどれます。
永明の父は良良(リョウリョウ)、母は永永(エイエイ)(野生捕獲)
彩浜の祖先は4代前の高祖父母までしか調べられません。

高祖父・都都(トト)1963年推定三歳、高祖母・方方(ホウホウ)
1972年推定四歳で四川で保護され後に北京動物園に送られました。
パンダは四川の山岳地帯に野生で生息。餌となる竹が豊富でした。

野生のパンダが保護されるようになったのは、理由がありました。
地元新聞社の高さんによると、1869年パンダが発見されます。
このことについてはこちらでも紹介しています。
こちらでパンダ狩猟の悲しい歴史を紹介しています。

1938年パンダ狩猟禁止、弱ってるパンダを保護し育てるようになります。

都都は繁殖力のある雄でした。
都都の子どもは23頭でした。
交配した雌は4頭。そのうちの方方との間に生まれた岱岱(タイタイ)が
彩浜の曾祖母に当たります。

岱岱1974年誕生。美しいパンダとして知れ渡りました、
岱岱は楼楼(ロウロウ)との間の人工授精で1986年良良(リョウリョウ)を出産します。
良良は彩浜の祖父に当たります。

人工授精の技術が始まったのは、パンダの自然交配がむつかしく、
個体数が増えなかったからです。

良良の兄も人工授精で生まれます。
良良の兄は陵陵(リンリン)で、上野動物園(1992年~2008年まで滞在)にいました。彩浜の大叔父です。

彩浜の祖父の良良は、繁殖専用のパンダとして飼育されました。
施設での展示はされずに繁殖を続け、良良の子どもは16頭いました。

良良もまた繁殖力のある雄でした。
良良が5歳の時に永明が生まれます。

パンダが白浜に来るまで

1991年当時開園13年目を迎えたアドベンチャーワールドは新たな挑戦がしたいと模索。
当時の飼育課長ので獣医師でもあった林輝昭氏(2016年没)はいつかパンダの繁殖がしたいと願ってました。
上司からの許可が出て中国まで直接交渉に向かい、パンダを雄と雌一頭ずつ貸して貰えるよう交渉。
ブリーティングローン制度を取り入れようと提案。
ブリーティングローン制度とは、借りたパンダに子どもが生まれたら、その子供を中国に返す制度。

1972年来日の上野のランランとカンカンは日中友好の証のため贈られたパンダで、
上野で生まれた子どもが生まれても中国に返さなくてもよかったのです。
(現在は上野動物園もブリーティングローン制度を導入しています。)

中国側は白浜で餌の確保が出来るか、環境面などについて検討をしたのち、
パンダの貸与をしてもいいというところまで進みました。

中国が白浜へのパンダの貸与を許可したのは、
当時の中国成都は荒れ地になっていて、パンダの飼育をするにも費用が掛かったからです。

しかし、日本の通産省がパンダの受け入れの許可をしませんでした。
WWF(世界自然保護基金)がパンダの受け入れを反対したためです。
ワシントン条約で取り決めになった商用取引に当たると判断されたためでした。
学術以外での輸出はダメ。輸出国が許可してもダメだという主張でした。

それでも林さんはあきらめず、何度も通産省に足を運びました。

「絶滅の恐れのあるパンダの繁殖は世界の課題です。」
林さんはパンダをちゃんと飼育して、個体を増やすことが目標でした。

林さんの努力が実り、1994輸出決定。
10年間の貸し出しが決まりました。

パンダの受け入れ決定後

アドベンチャーワールドでパンダの受け入れ準備。
アドベンチャーワールドの獣医師、中尾建子(なかおたてこ)氏は、
中国語の本とパンダの飼育の書物を沢山渡されました。

中尾氏は中国語はまったくわからなかったので、辞書を片手に読み進めました。

オープン3日目の関空に、まだ2歳の永明と蓉浜(ようひん)が到着。
中国からも専門の飼育員が来日しました。
3年後に交配が出来るようになれば・・期待されていました。

蓉浜は食欲旺盛、永明は神経質で食が細かったそうです。
番組では紹介されていませんが、蓉浜は「死んだふり」が得意なパンダとしえて、
たまにテレビで紹介されていました。

蓉浜の死とその後

そろそろ繁殖を・・という5年目になる1997年、突然蓉浜死亡。原因は不明でした。

蓉浜の異変に気付いたパンダの飼育担当だった人も、
なすすべもなくパンダの気持ちが分からず涙を流していたそうです。

蓉浜がなくなったあと、お別れ会を開きました。
そして悲しみに暮れる間もなく、ブリーディングローンの継続のため、新たな雌の受け入れが必要。
林さんは新しい雌を借りるために再び中国に行きます。

白浜のスタッフもその間に永明の体調を改善させることに心血注ぎました。

しかし、永明はグルメで排気ガスを含む竹、海のぞばの塩分を含んだ竹もダメと好みがうるさいパンダだった。

そのうち、永明は茎が黄色い竹は好んで食べるようになります。
黄色い茎の竹は、他の竹より繊維質が多く含まれており、永明に合っている竹です。
同じ竹を園内にも植えて、永明好みの竹がいつでも食べられるようになり、健康を回復しました。

新しい雌も決まり、当時5歳の梅梅が決まりました。

彩浜の母方のルーツを辿る

永明の新しいパートナー梅梅(メイメイ)のルーツを辿ります。

梅梅の両親は、父・林楠(リンナン)、母・蘇蘇(スス)でした。

梅梅の父は林楠(リンナン)
1985年頃、白水江で保護されました。

母は蘇蘇(スス)1986年
中国四川の馬辺イ族自治区で保護されました。
番組では蘇蘇の生涯について紹介されました。

蘇蘇の生涯

四川省、水天馬(すいてんば)村のじゃがいも畑に見たことのない獣が現れました。

その獣がじゃがいもを採ろうとしたと思ったので、
村人は獣を銃で射撃したところ、獣は山奥に逃げました、
それから2か月後、そこから20キロ離れた山村の田んぼで、真っ黒な正体不明の獣が捕獲されました。
そのころはイノシシなどから農作物被害があったので、銃撃されたと思われます。

正体不明の生き物は衰弱が酷く、今にも死にそうで片目は失明していました。

田んぼにうずくまっていた獣は、メスのパンダだとわかりました。この時推定3才。

パンダは蘇蘇(スス)と名付けられました。
彩浜の後の曾祖母です。

蘇蘇はなぜ人里に下りて来たのか?
このころ主食の竹が取れなくなり、60年に一度竹の花が咲き、竹が枯れてしまい。
山で竹が食べられなくなりました。

更に開発が進み、高速道路が開通し餌を求めてさまようパンダは高速道路で行き先を阻まれました。
これらの条件が重なり100頭以上のパンダが餓死しました。

蘇蘇は治療設備のあった成都動物園で飼育されて、奇跡的に回復しました。
しかし翌年、蘇蘇は再び命の危機にさらされました。
身体検査のために麻酔を打ったところ、蘇蘇の呼吸が止まってしまったのです。
医療スタッフは蘇蘇に人工呼吸をしました。
蘇蘇は三時間半後意識を取り戻しました。
長時間人工呼吸をされた蘇蘇の胸の毛が抜けるくらい懸命な処置をされました。

蘇蘇の命の回復は、獣医師学会で取り上げられるほど話題になりました。

2度の奇跡の生還を遂げた蘇蘇は1988年成都パンダ繁育基地に移りました。
そして、そこで出産をしました。

梅梅の誕生

1994年8月31日、蘇蘇の5番目の子どもで次女の梅梅(メイメイ)が生まれます。
梅梅は双子の妹でした。姉は蜀蘭(シューラン)です。

梅梅は彩浜の祖母で、白浜のゴッドマザーと呼ばれます。

蘇蘇はその後も元気に生きて、2017年6月2日に推定34歳成都繁育基地で最高齢で大往生しました。
人間の年齢に換算すると100歳を超える長寿です。

中国では蘇蘇を「100歳の国宝」とよび、その死を悼みました。

彩浜の祖母、梅梅について

蘇蘇の娘、梅梅は5歳で初産、性格も勝気でした。
梅梅は子育てもうまく、優れた母親になります。

梅梅は赤ちゃんの喉が渇いたら、自分のつばを飲ませてました。

蘇蘇も梅梅も母性の強いパンダでした。

梅梅が白浜に来るまで

アドベンチャーワールドの獣医師で白浜にパンダを招きいれることに心血注いだ林さんは、
永明のパートナーを探しに何度も成都パンダ繁育基地に足を運びました。

そこで、梅梅を見て永明のパートナーにしたいと申し出ました。
しかし中国側のスタッフから反対されます。
「こんないい母親を(基地から)出してしまうのか?」

しかし林さんに中国側のスタッフ張さんが味方します。
梅梅を日本に連れ出すまで激しい議論が展開されました。
当時の中国には繁殖力のある雌が少なかったからです。
しかし、プロジェクトの成功には良い雌を海外に出して繁殖させることが必須でした。

張さんは上層部を説得し、梅梅を白浜に行かせることを決定しました。

梅梅来日

2000年7月7日白浜空港に梅梅到着。
梅梅は長旅をものともせず、飼育員さんから差し出されたリンゴを、
すぐに食べ始める胆の座ったパンダでした。

一方の永明は繊細でおとなしい性格をしていたので、うまくいくのか心配されていました。

パンダは相性がすべてで、最初がダメだったらその後の繁殖はうまくいかないことが多いそうです。

お見合いをしたところ、永明はでんぐり返しを繰り返し、気を許す仕草ともいわれる、
お腹を見せる動作をしました。お見合いはうまく行ったようです。

彩浜の母、良浜の誕生

梅梅は白浜に着いたとき、中国で人工授精をしたのち妊娠している状態でした。
2000年9月6日良浜誕生・・彩浜の母になるパンダです。

梅梅が雌を産んだということは、永明にとって梅梅以外にもパートナー候補が出来たことを意味ます。
良浜の浜は白浜の浜。ここから浜家の始まりでした。

梅梅は時々、良浜を口の中にいれて、ぐるぐる回しました。
驚いた飼育スタッフは梅梅を棒でつつくなどして止めようとしましたが、飼育員の一人熊川智子氏はあることに気づきました。
ぐるぐる回すと、あかちゃんがおとなしく眠るのです。
手荒に見えますが、口の中に赤ちゃんを入れてぐるぐる回してあやしていたのです。

永明の子どもたちの誕生まで

パンダは通常春が恋の季節と呼ばれますが、春に梅梅が発情しませんでした。
2001年8月末に梅梅に発情の兆候、なんども交配がうまくいかないなか、9月13日交配に成功。
出産予定は12月になりました。

パンダの出産は飼育下では12月は前例がありませんでした。
パンダの冬の出産は危険が伴います。スタッフは床暖房などで体温が奪われないように気を配りました。

12月17日、雄浜誕生。生後1か月で体毛がそろったところで一安心でした。

2003年9月8日双子の隆浜・秋浜(2頭とも雄)出産。
双子はすり替えることで2頭育てることを始めます。
しばらくすると、前例のないことが起こります。梅梅は双子を2頭同時に授乳を始めます。
中国スタッフは片方を離すように指示しますが、梅梅の母性を信じて2頭同時に育てることにします。

永明の最初の子ども雄浜の赤ちゃん返りと中国出発

双子の赤ちゃんが生まれてから、飼育員さんに構って貰えなくなり、
それだけではく、パンダのアイドルの座を奪われた永明最初の子、
雄浜(ユウヒン)は「誰も遊んでくれない。誰も見てくれない。」と、
赤ちゃん返りを起こします。

番組では紹介されていませんが、雄浜の赤ちゃん返り対策として、
雄浜を今の白浜のお母さんパンダで、種違いの姉でもある良浜の体重に近づくまで成長させてから、
良浜と一緒に1日のうち数時間展示されて、その都度激しい姉弟バトルが繰り広げられました。
この姉弟バトルを筆者も2度ほど見たことありましたが、この時に良浜の勝気さを目の当たりにしました。

この姉弟プロレスは、雄浜が中国へ返還されるまで繰り返されます。

2004年6月、当時2歳半の雄浜は成都繁育基地に向けて、関西空港に向かうバンに乗せられ出発。
この模様は、NHKではなくテレビ大阪で取り上げられていましたが、雄浜を乗せたバンの扉が閉まった瞬間、
ファミリーヒストリーに出演された飼育員の熊川智子氏が、こらえきれずに目にハンカチを当てた映像を見て、
筆者ももらい泣きをしたのを、今でも覚えています。
筆者も雄浜の中国出発を知り、お別れをしにアドベンチャーワールド行った記憶もよみがえりました。

梅梅の死と良浜への世代交代

梅梅はその後、幸浜(雄)と生まれてすぐに亡くなる双子と、愛浜(雌)・明浜(雄)の双子を出産します。

しかし、2008年10月梅梅腸閉塞で死亡 14歳 人間で40歳くらい、
浜家の繁栄の礎を築いたパンダでした。

梅梅死亡の後、永明のパートナーとして期待された良浜ももう7歳。
繁殖可能な年齢になっていました。

2009年9月13日初めての出産。永浜(雄)と梅浜(雌)
最初はただ見てるだけ、抱き上げてもどうしたらいいかわからず、授乳がさせられない状態でしたが、
スタッフとの二人三脚で赤ちゃんに授乳をさせることが出来るようになりました。

二度目の出産の時は赤ちゃんの声に気づいてすぐに抱き上げることが出来るようになっていました。
この時生まれたのは双子の海浜(雄)、陽浜(雌)でした。

その後、優浜、桜浜・桃浜(双子)、結浜とずっと雌のパンダを産み続けます。

彩浜誕生

2018年8月 彩浜誕生 アドベンチャーワールド最小の75gでの誕生でした。
小さい彩浜は自力で母乳が飲めず、良浜から母乳を搾乳しその母乳を飼育員が飲ませる手順で育てられました。
彩浜は注射器に入った母乳を飲みました。

良浜は赤ちゃんを返してほしいと抗議を繰り返しました。

母乳を自力で飲めるようになる。⇒奇跡
良浜が初産だったら彩浜は育ってないと飼育員さんは言われました。

白浜の子孫の現在

良浜最初の子ども梅浜は 現在は河北省で生活。
成都にいるときに良浜の初孫、梅蘭(2016年5月29日)を出産。

愛浜は陝西省におり、上野の香香(シャンシャン)と同じ日2017年6月12日に双子を出産しました。

梅梅最初の双子の弟、秋浜4頭の父親になり、3頭の祖父です。
余談ですが、筆者はパンダバックヤードツアーで餌をあげたのは秋浜でした。

かつて赤ちゃん返りをしていた雄浜は成都繁育基地に住んでいます。
今では15頭の父親になりました。性格が優しいのは父親譲りです。

また、雄浜の子ども大毛(ダーマオ・雄)はカルガリーで生活してて、中国の竹しか食べないグルメです。
コペンハーゲン動物園には毛二(マオアル・雌)に派遣されています。

浜家のパンダ41頭世界各国で生活しています。

参考文献:「パンダのひみつ」アドベンチャーワールド

感想

浜家は繁殖力のある父方と、生命力のある母方の血を受け継ぎ、
白浜が日本でも一番子パンダの見られるところに進化してるんだと、深く感銘を受けました。

それから私は良浜が生まれてからのパンダファンなので、
雄浜の旅立ちと、梅梅の死は当時を思い出し涙腺崩壊でした。

今回主役だった彩浜も、生まれた時はかなり緊迫した状態だったのですが、
それを微塵も感じさせないくらい元気に育ってて嬉しゅうございます(笑)

これからも元気に過ごしてほしいです。


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