10.退職・・うつ症状の原因から離れる
結局退職をすることになった。あまり気が進まなかったけど、退職時に提出しないといけない書類や私物を取りに行くために職場に行った。残念な辞め方だったけど2年以上お世話になったのでお餞別のお菓子を持って・・。
思いがけないことに、体調不良でやめる私に寄せ書きを配属先の皆さんが贈って下さった。
今まで体調不良や授かりでやめた人には、こんな事してるところを見た事がなかったので、ただただビックリした。
これが精神的にキツくない職場だったら、感激の涙の一つでも流す所なんだけど、それまでに自分の不甲斐なさや、板挟みの苦しさ、理不尽に攻められることの悔しさで沢山涙を流してきたので、流れる涙が無くなってた。
ただただこんな私のために似顔絵入りの寄せ書きなんて、申し訳ないと思うばかりだった。
思えば着台してまる2年を迎えるころにやめていく人は、私だけではなかった。私より2か月先にに入社した先輩は、私が辞める2か月前に、私より1か月先に入った先輩は、私より一か月先にある人は胃腸を悪くして、ある人は睡眠障害になって辞めて行ってた。
私が退職した後も、私より一か月遅い後輩が退職したと噂に聞いた。
どの先輩も、私よりはるかに出来のいい人だった。私よりもはるかに余裕をもって業務をこなしている風に見えた。
内心はアップアップだったのかもしれない。
どうも「一斉にガクッとくる周期」のようなものがあるらしい。
座学研修のふるいに掛けられてる時期、OJTで現場に降りた時期、独り立ちして3か月以内に数名。そしてどうにか1年は越せても2年を迎えるころにガクッと来る時期があるようだ。
2年を超えてからの峠はいつになるのかは、今となっては知る由もない。
仕事は辛くて心折れたけど、配属先だけは恵まれてたと思う。
違う配属先では「またアイツ来てる」等、他のオペレーターの陰口がロッカールームで聞こえてくる中、落ちこぼれで生活のためだけに食らいついていただけの私には勿体ない人たちだった。
自由と引き換えに、素晴らしい人たちと会えなくなる生活が始まった。
11.傷病手当給付、落ち込む間もなく失業の手続き
傷病手当金は、社労士さんに事前に相談しないまま病院に行ってしまったので、最低限しかもらえなかった。
本来なら契約期間3か月あるうちの1か月目でやめてしまったので。病院に行く前に社労士さんに相談したら、もしかしたら3か月分の傷病手当金がもらえてたかもしれないと、セーフティネット+社会復帰に向けて学習した社会保険の講座で講師をしてくださった社労士さんから聞いてショックを受けた。
まとめ記事の時にも改めますが、「出社するのがヤバイ」と感じ始めたら、心療内科の病院に行く前に社労士の無料相談・・電話やメールでも出来るようなので、そこでどのタイミングで病院に行ったらいいかまで、教えてくれるとの事だった。
ハローワークでは失業の手続きをした。派遣会社は契約満了の体にして下さったので、すぐに失業保険がもらえることになった。
それまで短期派遣や、長期派遣にしても派遣法改正前に退職してた時期は失業保険のなんて貰えるとも思ってなくて無頓着だった。
心が折れそうになりながら頑張ったのも、以前正社員の時に自己都合退職で失業してから3か月以上経過してからの支給を受けた記憶しかなかったので、3か月分の当座の生活費が貯められてから辞めようと思って、我慢に我慢を重ねたのだった。
私アホやぁ。無知過ぎた。何とも言えない安堵感と脱力感でいっぱいだった。
派遣は契約更新を希望してもそれが叶わない体で契約満了になったらすぐに支給されると知ってたら、ここまで気分悪くなるまで続けなかったのに・・・。
私の時間を返してほしいと思う反面、入院しなければならないまで我慢しなくて良かったという思いでごちゃごちゃになった。
とりあえず、贅沢しなければ数か月はどうにかなりそう。
しかし、過去の自分にまだまだ苦しめられるのでした。
次の記事で書いて行きます。