テレホンオペレーターの仕事をしてみた~辞めたい。うつ症状。2~

前記事の続きです。

6.飴と鞭から鞭と鞭へ
精神的にしんどさを抱えながらもテレオペを続けたのは、生活のためは言うまでもなく、その他では前からも書いてるが配属先の人間関係の良さだった。

元々人見知りな所がある私は、特別親しい人でもない人との距離の取り方がわからなくて、仕事以外の事で人と関わることを避けてた。
人見知りだけど話しかけられたら馬鹿なことを言ったり、特別明るいわけでも無いけどゲラだったので、笑いのツボに入る事があればついつい馬鹿笑いしてしまい、直属ではないけどオヤジギャグを言って笑いを取ろうとするチーフからなぜか気に入られて、落ち込んでも辞めたくなっても励まして貰ってた。
直属のチーフも定期的な面談の時にSVから厳しいことを言われても、「努力して成長した」と励まして下さった。
その直属のチーフが、急転直下でお見合いをして寿退社。

毎月センター中の成績発表が回覧で回ってきて、上位50位に段々同期入社の名前も入るようになり、私は成績4段階での評価で給料が全然上がらない。別に「人は人、自分は自分。」でも良かったけど、不甲斐ない自分が嫌だった。
この頃はデビューの頃とは違う不安に押し潰されそうになり、家で夜中に泣いたりした。
「本当は辞めたい。でも生活があるから辞められない。」契約の更新時期は不安の度合いも高まった。

寿退社をしたチーフは、成績の上がらない私の事を、どこかいい所をみつけて褒めてくれる人だったが、新しく着任したチーフはSVと一緒に私を落とした。新任の人はチーフ業務自体が初めてだったのかもしれない。
でも、もう我慢限界だった。

私の中で「終わりの始め」だったかもしれない。

7.家族からのプレッシャー
私の家は父親が亡くなり、母子家庭。
そのころ家のリフォーム工事のローンが残ってて、その代金を私の給料から捻出してた。
妹もいるけど、体が弱くてすぐに仕事を辞めてくる。正直、「妹が働いてくれてたら、こんなきつい仕事やらないのに。」と何度思ったかわからない。
母親は「アナタは会社の人間関係に恵まれてるので、このまま仕事を辞めずに家計を助けてください。」と手紙をよこしてくる。
「私に退職の自由はないの?いつまで私一人ばかりに仕事させる?妹にも働いて貰って!」
夜中に泣けたのはここにも理由があった。
段々出社前から過呼吸になり、通勤中バスや電車が会社に近づくと吐き気を催すようになった。

8.会社で崩壊
電話応対中、言葉の行き違いでお客様を怒らせた。平謝りしたら優しいお客様なら許してくれるけど、人に頭を下げた事などないであろう、特殊な職業のお客様だったので、その言葉尻をさんざん突かれ、上席対応になった。
SVに代わって貰った後、社内、社外からのプレッシャー。家庭内からまでのプレッシャーで心がボロボロの私は、まるで子供のように泣き崩れた。
この時SVには「もう休みたい」と言った。「辞めたい」と言ったら食い扶持が亡くなると思った。わずかに残ってる自制心だった。

その数日後、今度はワガママ過ぎる年配の人の対応で、我慢が限界に達した。

9.ドクターストップ休職へ
もう会社なんて行けない。毎日過呼吸で苦しい。吐き気を催すのはもう嫌だと、メンタルクリニックに行った。
即退職するように言われた。このまま出社してると入院することになるとまで言われた。
抗不安剤を出され、会社に連絡して「ドクターストップがかかりました。当分休みます」
傷病手当申請書を派遣元に提出することになり、ドクターに診断書も書いてもらった。
しばらくは有給を消化してのんびりまったり過ごした。
事情を知らない会社の同僚から「会社に来ないから心配してる」とメールが来た。
「私も誤案内、言い間違いなんて私もしょっちゅうやで。」とも言われた。要は失敗しても気にするなって事だった。

ホンネは「そういう問題とちゃうねん。もう社屋に近づくだけで気持ち悪いねん。」だった。

だけど、「心配かけてごめんなさい。体調が悪いんです。」とだけ書いて返信した。

次の記事に続きます。


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